池田 満寿夫は1934年に旧満州で生まれ、長野県長野市で育ち、県立長野高校を卒業、東京藝術大学を受験するも3度失敗、東京藝術大学への進学を諦めています。最初の受験は油画科、あとの2回は彫刻科での受験でした。 1955年に靉 嘔(あい おう)、真鍋 博、堀内康司とグループ「実在者」を結成。翌1956年に画家・版画家・写真家の瑛 九(えい きゅう)のすすめで色彩銅版画を制作、デモクラート協会会員になります。その後、色彩銅版画で華々しい活躍を見せ、多くの賞を得ています。 1965年に日本人として初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展開催、翌1966年にジャパンソサエティ(本部/ニューヨーク)の奨学金を得て渡欧、さらにフォード財団の奨学金により渡米、1967年にはドイツアカデミーの奨学金でベルリンに滞在。ニューヨーク、パリ、東京、ローマなどを移り住みながら、国際的に制作活動を続けた後、東京に居を定め、後年は静岡県熱海市に移り住んでいます。 版画制作の傍ら、多様な表現に挑み、小説「エーゲ海に捧ぐ」で1976年「野生時代」新人賞、1977年(上半期)には同作品で第77回の芥川賞を受賞しています。また、映画制作、テレビ出演など、美術を超える幅広い分野で活躍、その知名度は極めて高いものでした。 地味で、とかく日本の美術界では傍流と見られがちな現代美術の世界にあって、岡本太郎と並び交友関係も幅広く、存在感と発信力は群を抜いていました。しかし、その芸能人並みの華やかさは清貧、職人的専業、ストイックさを求める日本の美術界にあっては異端視され、正統とは評価されにくかったのです。 後年、バイオリニストの佐藤陽子氏と生活を共にし、その生活ぶりは華やかで、マスコミに多くの話題を提供していました。 東葛クリニック柏と東葛クリニック小岩に展示されている版画「天平時代」(1989年制作)他2点の作品は、熱海に制作拠点を移して、おしどりカップルとして知られたお二人の愛情あふれる幸せな環境で制作された時期の作品です。 大胆で力強い直線、明るい色彩で構成された画面は、唐の文化をはじめ、天平時代に移入されたさまざまな文化が花開いた日本の古代国家の最盛期をイメージしたものでしょう。同時に、この時期の作者自身の豊かな人生を重ね合わせて描かれたものと想像されます。 1997年に静岡県熱海市の自宅で没しています。 (参考資料/「日本美術家事典」日本美術家事典社刊)
池田 満寿夫は1934年に旧満州で生まれ、長野県長野市で育ち、県立長野高校を卒業、東京藝術大学を受験するも3度失敗、東京藝術大学への進学を諦めています。最初の受験は油画科、あとの2回は彫刻科での受験でした。
1955年に靉 嘔(あい おう)、真鍋 博、堀内康司とグループ「実在者」を結成。翌1956年に画家・版画家・写真家の瑛 九(えい きゅう)のすすめで色彩銅版画を制作、デモクラート協会会員になります。その後、色彩銅版画で華々しい活躍を見せ、多くの賞を得ています。
1965年に日本人として初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展開催、翌1966年にジャパンソサエティ(本部/ニューヨーク)の奨学金を得て渡欧、さらにフォード財団の奨学金により渡米、1967年にはドイツアカデミーの奨学金でベルリンに滞在。ニューヨーク、パリ、東京、ローマなどを移り住みながら、国際的に制作活動を続けた後、東京に居を定め、後年は静岡県熱海市に移り住んでいます。
版画制作の傍ら、多様な表現に挑み、小説「エーゲ海に捧ぐ」で1976年「野生時代」新人賞、1977年(上半期)には同作品で第77回の芥川賞を受賞しています。また、映画制作、テレビ出演など、美術を超える幅広い分野で活躍、その知名度は極めて高いものでした。
地味で、とかく日本の美術界では傍流と見られがちな現代美術の世界にあって、岡本太郎と並び交友関係も幅広く、存在感と発信力は群を抜いていました。しかし、その芸能人並みの華やかさは清貧、職人的専業、ストイックさを求める日本の美術界にあっては異端視され、正統とは評価されにくかったのです。
後年、バイオリニストの佐藤陽子氏と生活を共にし、その生活ぶりは華やかで、マスコミに多くの話題を提供していました。
東葛クリニック柏と東葛クリニック小岩に展示されている版画「天平時代」(1989年制作)他2点の作品は、熱海に制作拠点を移して、おしどりカップルとして知られたお二人の愛情あふれる幸せな環境で制作された時期の作品です。
大胆で力強い直線、明るい色彩で構成された画面は、唐の文化をはじめ、天平時代に移入されたさまざまな文化が花開いた日本の古代国家の最盛期をイメージしたものでしょう。同時に、この時期の作者自身の豊かな人生を重ね合わせて描かれたものと想像されます。
1997年に静岡県熱海市の自宅で没しています。
(参考資料/「日本美術家事典」日本美術家事典社刊)
彫刻家 望月 菊麿