東葛クリニック病院内に展示されている絵画や彫刻を、これまでずっと作家ごとに紹介してきましたが、今回は一服させていただいて、病院の中でのアートとの出会いといった観点から私の思うところをつづってみます。
まず私の胸に去来したのは、たぶん多くの人々がきっとそうであるように、「病院でアートと出会う」ことが意外性に満ちた体験に属しているという思いでした。たとえば美術館や画廊なら、あらかじめ白い壁に絵が掛けられていたり、床に彫刻が置かれてあったりする情景をおのずと想定しながら、人々はそこへ出かけて行くはずですから。だれも病院の待合室や廊下、庭などで、絵画や彫刻が見られるとは思ってもみないでしょう。
でも、それだけでは、商業ビルや街角でアートと出くわすことと大差はありません。病院での出会いに特別な意味を与えるのは、入院している人、通院している人それぞれの心持ちが、そこでは通常とは違った形で働くからではないでしょうか。癒されたい、救われたい、鼓舞されたいという心持ちが、そのために何かとの出会いを強く求めているからではないでしょうか。優美に描かれた草花や風景の絵も、たしかに慰みにはなるかもしれない。しかし病院で求められるアートとは、ただ美しいだけにとどまらず、もっと人々の精神に強く深く働きかけ、新たな生へと立ち向かわせるようなものでもあるのではないか、と私は思っています。
そう思うようになったのは、もう40年近く前の学生時代、胸を患って結核病棟に収容されていた親友を見舞ったころでしたでしょうか。
日常から遠く隔絶された彼の孤独をまぎらわせようと、私はきれいな風景写真の載った何冊かの旅行本を持参したのですが、彼は大儀そうにばらばらと頁をめくっただけで脇に置き、私が別の友人から借りてきた20世紀美術の入門書を所望したのです。その中で彼が特に気に入ったのは、イタリアの画家キリコの「街の神秘と憂愁」という絵の図版でした。幾何学的な建築が居並ぶ街路を、輸回ししながら駆けていく一人の少女のシルエットをぽつんと描いた作品です。きっと彼は、生きることの洸惚と不安を見据えたキリコの透徹した精神の力を、その画面から感じ取っていたに違いありません。
東葛クリニック病院に展示されている作品群を見るたびに、私はキリコ作品に生の不安からの救いを感じた親友のことを思い出し、改めて現代アートの不思議な力を再認識せずにはいられなくなります。時にヒーリング・アート(癒しの芸術)などと呼ばれますが、もちろんそれらは病院で見られることだけを想定して作られたわけではありません。ただ病院という環境に置かれることによって、現代の生と鋭く切り結んだアートの魅力は、一層、際立ってもくるはずです。
ともあれ、東葛クリニック病院に来院する際は、院内各所にあるアートを巡って、心ゆくまで対話を楽しんでみることです。