作品名: | 「美しき博覧会」(上)、「牛を焚く」(下) |
制作者: | 古賀 春江 |
略歴: | 1895年福岡県久留米市の浄土宗の寺に生まれる。地元の旧制中学を退学し、画家を志して上京。太平洋画会研究所、次いで日本水彩画会研究所で絵を学ぶ。 1915年僧籍に入り、幼名の亀雄(よしお)から良昌に改名。同時に画名を春江と称した。宗教系の大学に進むが病気で退学、以後は画業に専念する。1922年に二科展に入選し二科賞を受賞。また同年、中川紀元や神原泰らと前衛集団「アクション」を結成して頭角を現す。パウル・クレーやシュルレアリスム(超現実主義)に触発された、夢幻的な雰囲気の漂う空想的風景画で知られる。二科会員となり、将来を嘱望されたが、1935年東京で病死した。 |
たぶん美術に関心のある人が、古賀春江という女性のような画家の名を覚え込むのは、日本のシュルレアリスムの代表作とされる二点の油彩画、「海」(1929年)と「窓外の化粧」(1930年)に出会った時ではないでしょうか。前者の画面の右端には水着を着て片手を掲げた女性が立ち、中央部の空に飛行船、海面に帆船、海中に内部をあらわにした潜水艦や魚の群れ、さらに画面の左端には工場らしき構造物が記号よろしく描かれています。ビルの屋上で女性が踊るようなポーズを見せ、空にいくつもの落下傘が浮かんでいる後者の画面も、また同じように極めて奇妙な光景といわざるを得ないでしょう。いずれも通常の風景画とは違い、現実の場所を写したものでないばかりか、種々の対象やイメージがまるで脈絡もなく寄せ集められたように見えます。そのような無関係の事物の唐突な組み合わせこそ、画家の共感したシュルレアリスムの画法であり、見る者に現実離れのした不思議感をつのらせ、二度と忘れられないような記憶を刻み付ける、その魔術にほかなりませんでした。この古賀絵画に特有な不思議感は、東葛クリニック病院で見られる「美しき博覧会」と「牛を焚く」という二点のリトグラフからも、まざまざと伝わってきます。しかし、画面に描かれた草花や見せ物小屋、動物、人物の天衣無縫のたたずまいは、油彩画の冷徹な描写とは対照的に、子供の落書きにも似たのびやかな風情を感じさせないでしょうか。生前から古賀と親交があり、その最後を看取った文豪・川端康成の言葉を借りれば、この二つの画面にも「をさなごころの驚きの鮮麗な夢」が満ちあふれています。
美術ジャーナリスト 三田 晴夫